歌舞伎町発!ぶれぶれ教員記

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大学4年からの教職履修/3年間の教職課程/15校以上落ちた就活/新任の教員生活/歌舞伎町サパー時代/留学・ワーキングホリデー/

【教員が今すぐ読むべき本】「嫌われる勇気」を就活と教育の角度から徹底考察!

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嫌われる勇気」

私自身、読んでみて非常に感銘を受ける部分が多くありました。今日はそんな「嫌われる勇気」を、教育の角度から考察し、まとめてみました。

教員になりたいけど、どんな教員になればいいか分からない

就活の焦りや不安で悩んでいる

そんな方は是非、この記事を読んだ後、手に取って読んでみてください。

 

何かが不安なら、それは不安に感じる事を目的としている

アドラー心理学では、すべての人間は何か目的に沿って生きていると説きます。

例えば、採用試験で「模擬授業って嫌だな」って思う事、誰しもあると思います。「なんで大人の試験官の前でわざわざ授業をしなきゃいけないんだ」と、不安に思います。これはあなたが、「授業をしたくない」という目的に沿って、ネガティブな感情を作り出していると言い換えられます。不安だから授業をしたくないのではありません。この事が理解できれば、「授業をしたくない」という目的があるのは、単純に「授業に自信が無い」からです。1つの授業を何回も練習してみてください。セリフも段取りも覚えるほどやれば、自信がつき、授業に対する不安も消えていきます。採用試験が不安なのは、あなたが「授業をしたくない」からです。そしてg、それは自分にとって嫌なものだと決めつけている自分も存在しています。今すぐ変えてみてください。「早く授業したいな」と思ってみてください。自然とやる気が出てきます。まずは自分が抱える目的を知り、変えていく。目的が変われば、それに伴う感情も変わってきます。

他者ではなく、理想の自分と今を意識すべき

就活に焦りというものは付き物です。周りのみんなが決まっていく中で、自分だけ内定を貰っていない時、人は焦りを感じます。なぜ焦りを感じるのでしょうか?それは、「他人と比べて自分が劣っている」と感じているからです。たかが早いか遅いかの話なのに、あなたはそれを「自分が劣っている」と主観的に解釈していることになります。あなたと他者は、みな同じ平面を歩き、そのスピードや距離は人それぞれなんです。他人と比べて自分に劣等感を感じ、焦ってスピードを速めるのではなく、前を歩く理想の自分と今を比べて、あなたはあなたらしく前に進むべきなのです。

そこには同じ"人間"しか存在しない

アドラーは説きます。みんなが同じ平面を歩き、「人間」として同等な立場にいる

私が教育者としてとても大切にしたいことはここに含まれます。つまり「子供」と「大人」という二項対立、「先生」と「生徒」という分断的思考ではなく、そこには様々な「人間」が存在しているだけなんです。年齢や知識は確かに同じではありません。しかし、それは距離やスピードが異なるだけで、同等な立場にいることに変わりありません。生徒を「子供」=「未熟」と決めつけて扱う教育者は、まずは子供に敬意を持って接することから始めるべきです。

非行少年は復讐がしたい

学校において、非行を繰り返す子供と向き合う機会は少なくありません。アドラーは、非行に走る子供は、復讐という目的に駆り立てられていると言います。

例えば、男の子は高校生くらいから、自らの肉体的力が付き、その力を証明したくなります。「怖いものなんてない」「大人にも勝てる」という自信が付きます。反抗期を迎え、大人に立ち向かっていきます。そして、大人に勝利することは、快感にも近いものがあります。しかし、やはりどうにも勝てない大人が存在します。するとどうなるでしょう?とても目立つ形で非行に走ります。喧嘩、犯罪行為、ピアス、煙草に飲酒。この時、子供の心理は大人への「復讐」を望んでいます。勝てなかった大人を困らせたい。それはほとんどの場合親でしょう。怒った親がお小遣いを上げなくなれば、意地でも万引きしたものを売って、お金に変える。捕まった所で、自分をそうさせたのは他ならぬ親であると証明したいのです。そして親が困ることが自らの目的として行動しているのです。

アドラーはこのような子供と対峙する場合、子供の挑発に乗ってはいけないと警鐘を鳴らします。そして、そのような子供は、かなり多く心理的には脆弱なパターンが多いです。優しく話を聞いてあげましょう。そして寄り添ってあげましょう。

勉強を強制してはいけない

アドラー心理学では自分と他者の課題を分離すること、そして他者の課題に踏み込むことを良しとしません。これは対人関係のトラブルに繋がるからです。

勉強しない子供は学校に山ほどいます。生徒を勉強するように注意したとき、「なぜ勉強する必要があるのか」と聞かれたら、あなたはどう答えますか?勉強をするかしないか、それに起因するすべての結果は生徒自身のものです。勉強しなければ、大学にも行けず、就職も出来ないという可能性があったとしても、他者がその子の課題に踏み込んで、未来を変えようと無理やり勉強させることはとても恣意的な行為です。勉強を教えることはあなたの課題です。やるかやらないかは生徒の課題です。「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることは出来ない」ということです。生徒自身が自分の課題に立ち向かっていけるよう、教員は生徒に勇気を与えるべきなのです。

褒めてもダメ、叱ってもダメ

アドラーは、叱ること、褒めることを否定します。叱っても褒めてもいけない。なぜなら、私たちが誰かを褒めたり叱るとき、背後にその人を操作しようという目的があるからです。褒めることや叱ることは、他者を評価することです。そして、評価とは縦の関係から、上から下にするものです。この縦関係自体が、アドラー心理学では否定されています。私たちは同じ平面を歩き、限りなく横の関係に位置していることが前提です。他者と縦の関係を築くとき、どのようなことが起こるか。

例えば上司が部下と酒を飲みながら、説教じみたアドバイスをしますね?「だからだめなんだよ」「こうすべきだろ」と。これは、会社での上下関係、年齢という上下関係に惑わされ、他者に評価を下し、他者の課題に介入していることになります。課題への介入は、対人トラブルに繋がるのです。私たちはこのような対人関係の悩みから解放されなければいけません。

協働学習は生徒の生きる勇気になる

人は他者から感謝の言葉を述べられた時、他者貢献をしていると実感します。この他者貢献は、生徒が自らの存在価値を実感し、勇気を持てる機会になります。生徒が主体の協働学習においても、生徒同士が互いに貢献し合える環境づくりを行っていきたいものです。

減点式ではなく、加点式のみで子供を見つめる

人はそこに存在しているだけで価値があります。その人の「行為」ではなく、その人の「存在」を受け入れよ。非行少年だろうが、引きこもりの不登校少年だろうが、みんなそこに存在しているだけで価値があるものとして受け入れる。そこにいるだけで「ありがとう」と言える存在なのです。決して子供を他者と比較して、減点式で不満を述べてはいけません。

変えられるもの、変えられないものを見極めよ

よく、教員としてのタブーとして挙げられるのが、「生徒を変えようとすること」です。これが何故いけないのか?それは変えることが出来ないし、変えようと努力することは,、他者の課題に介入する事だからです。変えるのはその人自身です。人を変えようとする意志には、「その人は変わるべきだ」「その人はこうなるべきだ」「自分ならその人を変えられる」という、極めて自己中心的な感情が含まれます。その子を変えようとするのではなく、まずは変えられるもの、自分自身の言動や意識から変えるべきです。

教員は自己犠牲の上に成り立ってはいけない

世間では何故、教員という職業が一人歩きしているのでしょうか?いつも正しくいることを求められ、世間のハードルが高まっていくに連れて、教員は自分に対するハ-ドルも上げていないでしょうか?アドラー心理学では、仕事の本質は「他者貢献」であるとされています。この他者貢献は、あくまでも私の価値を実感する為に行われるものです。「私」という存在が大事にされることが前提なんです。教員という仕事が、自己を犠牲することでしか他者貢献が出来ないなんてことは無いです。まずは自分を犠牲にするという考えから捨てなければいけません。あなたは「存在」として価値があるのです。

子供を無条件で信頼せよ

対人関係の基礎は無条件の信頼です。疑うことはしてはいけません。裏切られても信じ続けよ。アドラー心は言います。もちろん、それが関係を良くしたいと思わない相手なら、そんなことはする必要はありません。無条件の信頼を寄せた相手が、裏切るか否かは既に相手の課題です。私は、私自身の課題として無条件の信頼を他者に寄せ続けるべきだと説きます。

まとめ

随分と内容を摘み取って書きました。アドラー心理学はこんなもので理解できるものではありません。何より、これを元に行動をすることが大事です。私自身もまだまだ途方もない旅路ということです。共に頑張りましょう!

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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