歌舞伎町発!ぶれぶれ教員記

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大学4年からの教職履修/3年間の教職課程/15校以上落ちた就活/新任の教員生活/歌舞伎町サパー時代/留学・ワーキングホリデー/

【教員必読書】「幸せになる勇気」教育とは何か。素敵な教育者になる超実践術!

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人生は常にアップデート!

ぶれです!

今回は私的超バイブル「幸せになる勇気」を紹介します。「嫌われる勇気」に続く2部作。本書は教師になった青年と哲人の会話形式であり、内容は教育そのものです。初めて読んだ時、とてつもない衝撃を受けました。アドラー心理学について、賛否両論があり、議論の余地があることは確かです。アドラー心理学は非常に厳格です。

スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」も、日常に恐ろしいほど厳格な姿勢でした(笑)これだけ素晴らしい本がたくさんあり、人々に読まれていても、これらを完璧に実践している人は現代に存在するでしょうか?たぶんいないでしょう。それだけ実践が難しいのです。しかしこれらを日々意識し続け、実践することで、着実に彼らの理想へと近付いていくことが出来ます。

「教育」がテ-マなので、教育に関すること、たまに自分の考察を入れつつまとめました。たった今からできる事しかありません。共にアドラー心理学という旅へ出かけましょう!

 

教育とは「介入ではなく」自立に向けた援助である。では、生徒を自立させるために、教員を何をすればいいのでしょう?

 

生徒を尊敬する

良好な対人関係には尊敬が必要不可欠です。では尊敬とは何か?それはその人がその人らしく成長発展していけるよう気遣う事、まさに勇気づけを行う事です。

他者を操作しよう、変えようとせず、「ありのままのその人」を受け入れることです。あなたも他者も、そこにいるだけで尊敬されるべき、価値のある存在なのです。誰かに尊敬されることを待つのではなく、まず、あなたが真っ先に他者を尊敬しましょう。

 

生徒の関心事に関心を抱くことで、生徒は尊敬を実感する

では、生徒を尊敬するためにはどうすればいいのでしょう?

まず生徒がやっている遊びや趣味に対して、生徒の目で見て、生徒の耳で聞き、生徒の心で感じる事です。

自分でやってみたり、話を聞いたり、とにかく理解しようと試みるのです。その時生徒は、自分が尊敬されていると実感します。つまり、私を私として受け入れてもらっていると実感します。同時にあなたは、身をもって「尊敬」とは何か、生徒に学ぶ機会を与えることになります。

 

学級は民主主義国家であって、独裁国家ではない

学級というものは、民主主義国家である以上、主権者が生徒であるという認識をしましょう。ルールを全て、主権者の同意の下、制定されなければいけません。

学級開きでル-ルを課すのであれば、必ず同意の下にル-ルを制定しましょう。

勘違いをしてはいけません。選挙で選ばれていないあなたは、決してその国家のリ-ダ-でも総理大臣でもありません。「あなたの学級」ではなく、「生徒が作り上げる学級」です。

 

問題行動の5段階

人間は目的に即して行動する。よって問題行動にも目的が5段階あると言われます。そして問題行動の目的全てに当てはまるのが、共同体の中で特別な地位を確保しよう」という目的です。では、以下を見ていきましょう。

 

第1段階 称賛の欲求

生徒は大人に褒めてもらい、共同体の中で自分が特権的な地位を得るためいい子を演じようとします。

褒められるためにカンニングや不正行為を行う生徒もいます。そうして彼らは、褒められることだけを行動原理にし、褒められなければ適切な行動をしない、という世界観を身に付けていきます。

対応

その生徒が特別である必要がないことを教えましょう。「いいこと」をしたときにだけ褒めるのではなく、もっと些細なこと、つまりその子の存在に感謝をし、ありのままの自分でいいという事を教えてあげましょう。

 

第2段階 注目喚起

「褒められること」をしたのに褒められない、「褒められること」をする勇気がない場合、人は特別な地位を得るために目立ってやろうと」考えます。目立つために悪いことをします。消極的な生徒は「できない子」として振る舞い、成績不振などによって自分を目立たせようとします。

対応

これにも「尊敬」示すことで対応するのが適切です。特別な地位を得る必要などないと、あなたが生徒に「尊敬」の念を持って教えましょう。

 

第3段階 権力争い

この段階では不従順と反抗を繰り返します。喫煙や飲酒もこの段階です。自らの力を証明するために、挑発を繰り返します。

対応

決して怒ってはいけません。法律に違反するなら法で対応し、彼らと同じコートに立たないようします。挑発に乗ってしまっては、彼らはエスカレートするだけです。

 

第4段階 復讐

「わたし」を認めなかった人、愛してくれなかった人に復讐を行います。他者から憎まれ、注目を浴びようとします。憎まれるためにひたすら他者が嫌がることを繰り返す。自らを傷付けて、「こんな自分になってしまったのはおまえのせいだ」と両親に苦しい思いをさせます。

対応

この段階からは利害関係にない、専門家や第三者に助けを求めるべきです。

 

第5段階 無能の証明

人生に絶望し、期待されないために自分の無能をあらゆる手を使って証明しようとします。他者から見捨てられることを積極的に望むようになります。

対応

精神疾患を抱える場合もあり、完全に専門家に頼るべき範疇です。あなたにできることは何もありません。

 

怒っても叱ってもだめ

ここでは「叱る」こと「怒る」こと、つまり感情的か否かの違いは無いものとします。生徒にとってはどちらも同じ行為に過ぎないという観点です。

では、生徒の問題行動に対して、叱る、怒ることで指導をする先生がいますね。生活指導の先生なんかは象徴的です。彼らは嫌われ役を買って出ているわけですが、なぜこのような「怒る専門」の先生はいつの時代も必要なのでしょうか?

本当に「叱る」ことは教育上有効だと言えるのでしょうか?先生が怒鳴る対象は大体いつも変わりません。いわゆる問題児です。彼らがこっぴどく叱られた後、いきなり問題行動をやめるでしょうか?ほとんどの場合、そう簡単にはいきません。では、叱ることがなぜ教育上有効であると考えるのでしょうか?先生は叱る必要があるのでしょうか?

 

暴力は未熟で愚かな行為である

ここでの暴力とは、「叱る」「怒る」などの言葉の暴力も含めます。これらの目的は、議論を通じた言葉でのコミュニケーションに煩わしさを感じ、手っ取り早く相手を屈服させることです。

この点において、暴力はコミュニケーションとして未熟であり、また自らの未熟さも他者に示す行為だと言えます。暴力には相手への「尊敬」も欠けています。あなたがすべきなのは、「これからどうするか」という「変えることが出来る」事について話すことです。

起こった過去の物事」という「変えられない」事に対して話すことではありません。また、反省文や謝罪文も「許されること」だけを目的としているので、「これからどうするか」について触れていないという点で適切ではありません。

 

生徒の自立を妨げているのは、親であり教師である

生徒が自身の行動原理に基づいて行動することは良くない事でしょうか?それは生徒が未熟だからでしょうか?なぜ、逆に何も行動することが出来ない生徒がいるのでしょうか?理性や意志がないからでしょうか?

親や教師は、子供に対して過干渉、過保護すぎるあまり、知らず知らずのうちに子供を支配しようとしています。大人は子供の自立が怖いのです。自らの意思で行動されるのが怖いのです。なぜでしょうか。それは大人のとしての権威が失墜してしまうからです。子供の失敗に責任を取らなければいけないからです。すべて自己保身なのです。

教育の目的は自立です。親や教師の目的は自立の援助です。あなたからの助言やアドバイスがなければ行動できない子供を育ててはいけません。依存させてはいけません。子供の決断に対して、必要な知識や経験を提供すること。そこからは全て子供の選択です。子供が自らの価値を自分で決定出来たとき、それが「自立」です。親や教師はそれを見守るのが役目です。

 

 

教育から競争と賞罰を排除せよ

 

「賞」である褒めることは、能力がある人物が、能力のない人に対して行う評価(縦の関係)であり、対象を操作しようとする目的があるからこそ、否定されている話は前回の記事でお話ししました。

褒めることはさらに、競争原理を作り出し、他者を敵だと見なす価値観を植え付けてしまいます。本来、理想の自分を実現する目的のみに沿って生きるはずの人生が、他者との比較、他者への勝利といったことが目的にすり替わってしまいます。褒められることで承認欲求を持った人が集まり、他人の期待を満たすために生き、他人の人生を生きる人が量産されます。

競争ではなく、民主主義的な協力原理で学級は運営されるべきなのです。私たちはみな仲間であり、お互い尊敬されるべき対象であるという教えです。その意味では、ライバルという関係は教育上有効でもあります。しかし現代の学歴社会はいかがでしょうか?受験戦争という言葉が表すように、これは全員が敵である戦争という様相をおびてきています。

資本主義社会である以上、競争は不可避であり、美徳でしょうか?私はそうは思いません。資本主義は道徳があってこそ成り立っています。勝てばなんでもいいというものではありません。そもそも勝ち負けという2択ではなく、仲間と相乗効果的に歩みを進める、無限の可能性に向かうシステムです。人生に勝ち負けがないように、職業に貴賎はありません。私たちは互いを尊敬し合う「分業システム」の中で生きているのです。学歴社会、年功序列、新卒一括採用、終身雇用。ここらへんのシステムは間もなく終るでしょう。同時に、この承認欲求や淘汰に満ちた社会の欠点を、教育現場で説いていきましょう。

 

 

生徒と交友関係を構築せよ

交友関係とは、信頼と尊敬に基づいた関係を指します。信頼とは「無条件に信じること」、尊敬とは「ありのままのその人を受け入れる事。」信頼と尊敬は同義語でもあります。他者を信じることが出来なければ受け入れることも出来ないからです。生徒を無条件で信じ、ありのまま受け入れよ。

その為に、まずは自分を信じ、自分を愛しましょう。そして自分の価値を自分で承認しましょう。価値の承認が出来なければ、自分を愛することや信じることは出来ません。それが出来ない人間に他者を信じることはもちろん出来ません。なぜなら、他者を信頼することは、自分が他者を信じるという決断をした自分自身も信じることだからです。そしてどんな相手だろうと、「信頼」や「尊敬」を寄せることは可能です。なぜなら、それはあなた自身の決断であり、課題であるからです。

 

まとめ

「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」この2部作を通じて、まずは自分で自分を見つめなおすことから始めなければいけないと実感しました。あなたが感じる悩みや幸せは、対人関係があってこそのものです。良好な対人関係を築くためには、まずありのままの自分を受け入れ、大切にすべきです。私たちは対人関係の渦の中にいすぎて、自分を見つめる時間を無くしていないでしょうか?アドラー心理学への入り口は、まずここからなのではないかと感じます。

 

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

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